ホーム トピックス 1畝・1反・1町の広さは何㎡?農家が現代でも「畝・反・町」を使い続ける3つの理由

1畝・1反・1町の広さは何㎡?農家が現代でも「畝・反・町」を使い続ける3つの理由

「畑は3反(たん)から始めました」「5町(ちょう)の田んぼをやってます」

農家さんにお話を伺っていると、こんな言葉が自然に出てきます。
でも、正直ピンとこない方も多いのではないでしょうか。

農業の世界には、畝(せ)、反(たん)、町(ちょう)といった独自の「面積の単位」があります。
農家さんにとっては当たり前の言葉なのに、農業と縁のない生活をしていると、なかなか耳に入ってこない言葉たちです。

知っていれば、農家さんの話を聞くときに「あ、そのくらいの広さか」とイメージできます。
今回は、その単位の世界を一緒にのぞいてみましょう。

そもそも「畝・反・町」ってどれくらいの広さ?

まずは、一番気になる「どれくらいの広さなのか」を、現代の単位(メートル法)と比べてみましょう。

実は、昔ながらの「尺貫法(しゃっかんほう)」の単位は、現代の単位と驚くほどきれいに対応しています。

単位 現代の単位での広さ(目安) 身近な例え
1畝(せ) 約99㎡(≒1アール) 学校の教室約1.5部屋分
1反(たん) 約991㎡(≒10アール) テニスコート約4面分
1町(ちょう) 約9,917㎡(≒1ヘクタール) サッカー場1.4面分

「1畝=約100㎡」「1反=約1,000㎡」「1町=約1万㎡(1ヘクタール)」と、桁がひとつずつ上がっていきます。
「10畝で1反」「10反で1町」と10倍ずつ上がっていくルールなので、広さのステップもイメージしやすいと思います。

では、なぜ明治、大正、昭和、平成、そして令和と時代が流れても、農家さんはこの単位を使い続けているのでしょうか。
それには3つの理由があります。

理由1:現代の単位とほぼピッタリ一致するから

先ほどの表の通り、尺貫法と現代のメートル法(ヘクタールやアール)は、誤差わずか0.8%程度でほぼ同じになります。

  • 1畝 ≒ 1アール(1a)
  • 1反 ≒ 10アール(10a)/o.1ヘクタール(0.1ha)
  • 1町 ≒ 1ヘクタール(1ha)

行政に提出する公的な書類では「反」や「町」は使えないため、ヘクタールやアール、平方メートル(㎡)に換算して記載する必要があります。
しかし、数字がほぼイコールなので、頭の中で「1町=1ha」「1反=10a(1,000㎡)」と直感的に置き換えることができます。
現代の基準と大きくズレないため、今でも現役で使われています。

理由2:お米の「収穫量」や「作業量」に直結しているから

農家さんにとって面積とは、単なる土地の広さではなく「どれだけの資材が必要で、どれだけ収穫できるか」という計算のベースです。

日本の稲作は、長い間「反(たん)」を基準に発展してきました。

かつての基準:「1反」=大人が1年間に食べるお米が獲れる広さ

もともとは、1反の田んぼから「1石(いっこく=約144〜150kg)」のお米が獲れる広さが基準でした。
これはかつての大人が1年間で消費するお米の量です(1日3合を1年間食べると約1,000合=1石)。
「1反あれば、1人を1年養える」という、生活に直結した基準でした。

現代の基準:「1反」=約10人が1年間に食べるお米が獲れる広さ

品種改良や農業技術が進んだ現代では、1反あたり「約530〜540kg(玄米)」のお米が収穫できます。
現代人の米の年間消費量(精米ベースで約50kg)で計算すると、今や1反の田んぼがあれば、概ね8〜10人分のお米が賄える計算になります(玄米から精米すると重量が1割ほど減るため、幅があります)。

これほど収穫量は増えましたが、農家の間では今でも「1反あたり何俵獲れた」「肥料は1反あたり何袋必要」といった会話が一般的です。
すべての栽培ノウハウが「反」をベースに受け継がれているため、これを「0.1ヘクタールあたり」と言い換えるのは、現場としてはかえって不自然になります。

理由3:地域のコミュニティと土地の歴史を守るため

日本の農地、特に山間部にある棚田などは、明治時代やそれ以前から形が変わっていない場所が数多くあります。

地域の農家さん同士の集まりや、共同での水路掃除、草刈りなどの現場では、「あそこの田んぼは2反歩(たんぶ)ある」「組合全体で3町歩(ちょうぶ)だ」という会話が日常的に交わされています。

聞き慣れないかもしれませんが、この「反歩(たんぶ)」は反(たん)と同じ、「町歩(ちょうぶ)」は町(ちょう)と同じ意味です。

昔から面積を「歩数(ぶすう)」で数えていた名残や、距離の単位である「町」と区別するために、今でも後ろに「歩」をつけて呼ぶ習慣が残っています。

こうした地域に溶け込み、お互いに協力して農業を営むための共通言語として、これらの単位は今も使われ続けています。

「畝・反・町」の歴史

これらの単位がいつから使われてきたのか、少し歴史を遡ってみます。

① 始まりは1300年前(飛鳥・奈良時代)

この単位のルーツは、飛鳥時代の「大化の改新(645年)」や「大宝律令(701年)」のころまで遡ります。それ以前の時代は、「大人が1日で耕せる広さ」といった、人間の体や労働の感覚を基準に農地を測っていました。それを国が管理し、税金(年貢)を集めるための法律としたのが始まりです。

② 豊臣秀吉による統一(太閤検地)

時代が進むにつれて地域ごとに基準がバラバラになっていましたが、1582年に豊臣秀吉が「太閤検地」を行い、全国を同じものさしで測り直させました。
このとき、それまで「1反=360歩」とされていたものが「1反=300歩」へと改められ、これが現代まで続く仕組みのベースになります。
改定の理由については、年貢の増収のためという説と、農業技術の向上で300歩程度で1石の収穫ができるようになったためという説など、諸説あります。

③ 明治時代、メートル法との合流

明治時代(1891年)、日本に西洋の「メートル法」が入ってきた際、国は「1尺」の長さをメートル基準で定義し直しました。
その結果、秀吉の定めた「1反(300歩)」が、自動的に「約991.7㎡」という、現代の10アール(1,000㎡)に非常に近い数字になりました。

なぜここまで近い数字になったのか、その理由は明確には分かっていません。

しかし、イギリスの「エーカー」という単位が「雄牛のペアが1日に耕せる広さ」に由来するように、洋の東西を問わず、伝統的な面積の単位には「人間や家畜が1日に無理なく働ける労働量」が深く関係していると考えられています。

明治時代、日本の伝統的な『反(約1,000㎡)』というサイズ感が、西洋から入ってきた『10アール(1,000㎡)』と結果的に綺麗に重なり合ったのは、農業という人間の営みが持つ、共通のスケール感が背景にあるのかもしれません。

まとめ

農家さんとお話しするときや、農業のニュースを見るときは、ぜひ今回の単位を思い出してみてください。

「1反の畑から始めました」という言葉から、「まずはテニスコート4面分くらいの広さから始めたんだな」と、具体的な規模感をイメージできるようになります。

余談ですが、私が通っていた高校は、グラウンドから少し離れたところにテニスコートがちょうど4面ありました。もしかしたら昔は、1反の田んぼだったのかもしれません。

都会に住んでいても、昔は畑や田んぼだったという場所は多くあります。身の回りの空間を見渡して、「ここの広さは1反ぐらいかな?」「昔は田んぼだったのかも」などと想像してみるのも面白いかもしれません。

SMART AGRI「いまさら聞けない農業の『単位』のハナシ。『一反』や『一町歩』ってどういう意味?」
https://smartagri-jp.com/management/8210

農林水産省「お米の1人当たりの消費量はどのくらいですか」
https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1808/01.html

農林水産省「農業生産に関する統計(2)」
https://www.maff.go.jp/j/tokei/sihyo/data/06.html

Wikipedia「反(単位)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/反